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東京地方裁判所 平成元年(ワ)12100号 判決 1993年5月07日

原告(反訴被告)

甲野正子

右訴訟代理人弁護士

山口元彦

野村弘

被告(反訴原告)

乙川二郎

右訴訟代理人弁護士

藤井正博

時國康夫

萩原克虎

主文

一  原告(反訴被告)の請求を棄却する。

二  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、別紙第二物件目録記載の各土地について、横浜地方法務局茅ケ崎出張所昭和六三年一二月二三日受付第三一四六七号始期付所有権移転仮登記につき「原因昭和五五年一一月二四日贈与(始期甲野正子死亡)」とする登記原因を「原因昭和五六年六月三〇日贈与(始期甲野正子死亡)」と更正するための登記手続をせよ。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じ原告(反訴被告)の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(本訴について)

一  請求の趣旨

1 被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、別紙第一物件目録記載の各土地につき横浜地方法務局茅ケ崎出張所昭和五七年一一月一九日受付第二五四八九号所有権移転登記及び同第二目録記載の各土地につき同出張所昭和六三年一二月二三日受付第三一四六七号始期付所有権移転仮登記の各抹消登記手続をせよ。

2 訴訟費用は被告(反訴原告)の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 主文第一項同旨

2 訴訟費用は原告(反訴被告)の負担とする。

(反訴について)

一  請求の趣旨

1 主文第二項同旨

2 訴訟費用は原告(反訴被告)の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告(反訴原告)の請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告(反訴原告)の負担とする。

第二  当事者の主張

(本訴について)

一  請求原因

1 原告(反訴被告、以下「原告」という。)は、別紙第一物件目録記載の各土地(以下「本件甲土地」という。)並びに同第二物件目録記載の各土地(以下「本件乙土地」という。)を所有していた(以下本件甲土地と本件乙土地とを併せて「本件各土地」という。)。

2 本件甲土地について被告(反訴原告、以下「被告」という。)のために横浜地方法務局茅ケ崎出張所昭和五七年一一月一九日受付第二五四八九号所有権移転登記(以下「本件甲登記」という。)がなされている。

3 本件乙土地について、被告のために同出張所昭和六三年一二月二三日受付第三一四六七号始期付所有権移転仮登記(以下「本件乙登記」という。)がなされている(以下本件甲登記と本件乙登記とを併せて「本件各登記」という。)。

よって、原告は、被告に対し、本件各土地の所有権に基づき、本件各登記の抹消登記手続をすることを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実はすべて認める。

三  抗弁

1 (本件売買契約)

原告は被告に対し、昭和五四年一二月一〇日、本件甲土地を代金三〇〇〇万円で売り渡した(以下「本件売買契約」という。)。

2 (本件負担付死因贈与契約)

(一) 原告と被告は、昭和五六年六月三〇日、

(1) 被告が原告に対し、昭和六〇年三月から原告の死亡に至るまで、毎月五〇万円ずつ贈与し、その支払方法については、内二〇万円を被告が原告に賃料月額二〇万円で賃貸している被告所有にかかる別紙第三物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の賃料支払債務と相殺し、その残額の三〇万円を、毎月末日限り支払う(以下「本件負担」という。)こととし、

(2) 被告が本件負担を履行したときは、原告が被告に対し原告の死亡と同時に本件乙土地を贈与する

旨の負担付死因贈与契約を締結した(以下「本件負担付死因贈与契約」という。)。

(二) 被告は、本件負担付死因贈与契約に基づき本件乙登記を経由した。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実はすべて否認する。

五  再抗弁

1 (公序良俗・信義則違反)

本件売買契約及び本件負担付死因贈与契約は、被告が老人である原告の判断力のなさに乗じて締結したものであるうえ、被告が本件各土地をわずかな代償で取得する内容であって、その結果は著しく正義に反する。

したがって、右各契約は、公序良俗に違反し、信義誠実の原則に反するから、無効である。

2 (本件負担付死因贈与契約の取消)

原告は、被告に対し、平成四年六月三〇日の本件第二三回口頭弁論期日において、本件負担付死因贈与契約の全部を取り消す旨の意思表示をした。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁1の事実は否認する。

七  再々抗弁

1 被告は、原告に対し、本件負担の履行として昭和六〇年三月から平成元年七月まで、毎月末日限り、前記相殺に供した金員を除外して三〇万円宛を支払った。

2 被告は、原告に対し、平成元年八月三一日、前記三〇万円を本件負担の履行として提供したが、原告からその受領を拒絶されたため、同年九月二九日横浜地方法務局藤沢出張所に弁済のため供託し、以後別紙供託の記録ⅠないしⅢのとおり弁済のため供託している。

3 したがって、被告は、原告に対し、本件負担の全部に類する程度の履行をした。

八  再々抗弁に対する認否

再々抗弁1の事実は否認し、同2の事実のうち被告が原告に対し、平成元年八月三一日、三〇万円を本件負担の履行として提供したが、原告からその受領を拒絶されたため、同年九月二九日横浜地方法務局藤沢出張所に弁済のため供託した事実は認め、同3は争う。

九  再々々抗弁

仮に、本件負担の全部に類する程度の履行がなされたとしても、本件負担付死因贈与契約締結の動機は、専ら被告が本件乙土地を安価に取得するためであり、本件負担の価値と原告の贈与財産の価値とを比較すると、右贈与財産の方が圧倒的に大きく、さらに生活関係上も被告を手厚く保護すべき事情は存しないから、本件負担付死因贈与契約の全部を取り消すことがやむを得ないものと認められる特段の事情が存する。

一〇  再々々抗弁に対する認否

再々々抗弁事実はすべて争う。

(反訴について)

一  請求原因

1 本訴抗弁2(一)及び(二)と同旨

2 本件乙登記には、登記原因として「昭和五五年一一月二四日贈与(始期甲野正子死亡)」と表示されている。

よって、被告は、原告に対し、本件負担付死因贈与契約に基づき、本件乙土地の本件乙登記について「原因昭和五五年一一月二四日贈与(始期甲野正子死亡)」とする登記原因を「原因昭和五六年六月三〇日贈与(始期甲野正子死亡)」に更正するための登記手続をすることを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は否認するが、同2の事実は認める。

第三  証拠<省略>

理由

第一本訴について

一請求原因について

原告が本件各土地を所有していたこと、本件甲土地につき本件甲登記、本件乙土地につき本件乙登記が被告のためにそれぞれなされていることは当事者間に争いがない。

二抗弁1(本件売買契約)について

1  <書証番号略>、証人甲野花子(但し、後記措信しない部分を除く。)及び同乙川春子の各証言、原告(但し、後記措信しない部分を除く。)及び被告各本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告は、原告の夫亡甲野三郎(以下「三郎」という。)の妹亡丙沢夏子の長女秋子(以下「秋子」という。)の夫であり、大蔵省に勤務していたが、昭和五四年一二月同省を退官した。

(二) 原告夫婦には、子供がなく、同人らは、三郎の妹甲野花子(以下「花子」という。)とともに本件各土地に存在した建物(以下「旧建物」という。)に住んでいたところ、三郎が昭和五〇年六月六日に死亡したため、原告は、三郎から本件各土地及び旧建物を相続して同建物に居住し、昭和五五年に本件建物が新築されて以後は本件建物に花子と同居している。

(三) ところで、被告は、昭和五一年ころ原告の依頼を受けて三郎の死亡に伴う相続税関係の処理をしたが、昭和五四年九月ころ、原告と花子から、旧建物が建築後四〇年を経過して隙間風が入り冬が厳しく、老人二人が暮らすには広すぎて不便であるので、快適な生活のできる建物に住みたいこと、そのためには本件各土地を処分してマンション又は老人ホームに入居しなければならないが、他方、本件各土地は永年住み慣れた土地であり愛着があるので離れたくないこと、また、三郎の恩給が減って生活が楽ではないこと等の事情から、本件各土地の処分を含めて今後の原告らの老後の生活設計を考えて欲しい旨の相談を持ちかけられた。

(四) そこで、被告は、旧建物を取り壊したうえ、被告の退職金で本件建物を新築し、原告と花子を同建物に入居させたうえ、原告から本件各土地を譲り受けようと考え、税理士A(以下「A」という。)に相談したところ、同人から本件各土地のうち譲渡所得税のかからない範囲内の土地を売買し、残りの土地については死因贈与するという形にすれば、死因贈与は税法上相続税という形式の税負担になるから有利であるとの助言を受けた。

(五) 被告は、原告と花子に対し、昭和五四年一〇月ころ、旧建物を取り壊して被告の退職金で本件建物を新築し、原告らに同建物に住んでもらうこと、本件各土地のうち譲渡所得税がかからない範囲の土地を代金三〇〇〇万円で原告が被告に売り渡し、被告が原告に対しその売買代金を毎月五〇万円ずつ分割して支払うこととするが、原告が本件建物の賃料を毎月二〇万円ずつ負担することにしてこれを差し引いた三〇万円を被告が原告に対し毎月支払うこと、売買代金の支払完了後も、原告が健在である限り右三〇万円の支払を継続していくこと、原告が死亡したときは、右売買対象以外の土地は被告において贈与を受けることとする案を提示したところ、原告は、被告に対し、「そういう話であればありがたい。よろしくお願いします。」と述べるとともに、本件各土地の権利証と実測図を交付した。

(六) その後被告は、Aを介して税務署との折衝を続けた結果、本件甲土地を売買の対象とし、本件乙土地を死因贈与の対象とすれば、税務対策上有利であることが判明したため、原告に対し、昭和五四年一二月一〇日、税金の関係で本件甲土地を売買の対象とすることを説明するとともに、本件甲土地を原告が被告に売り渡す旨の売買契約書(<書証番号略>)に原告の捺印を求めたところ、原告は、右事実を確認するとともに、「死んで土地を墓場に持っていくことはできないから贈与も結構ですよ。」と言って同契約書に捺印した。

(七) そして、被告は、原告に対し、右売買契約書作成時に手付金五〇万円を支払うとともに、残代金二九五〇万円については月額五〇万円宛分割して支払うこととし、昭和五五年四月から昭和六〇年二月まで本件建物の家賃月額二〇万円を控除した三〇万円を支払って、本件売買代金の支払を終えたが、引き続き同年三月から平成元年七月までは右同様毎月三〇万円宛の支払をなした。そして、原告は、神奈川銀行茅ケ崎支店に原告名義の普通預金口座を開設して右金員を同口座に入金したうえで必要な額を引き出して生活費に充てるなどしていた。

(八) また、被告夫婦は、旧建物の建替えに当たり、事前に原告及び花子を同行して茅ケ崎駅北口及び藤沢市内の住宅展示場等に出掛けたりしていたが、結局、被告は、被告の知人を通じて紹介されたBに建築を依頼することとし、主に原告及び花子が右Bとの間で本件建物の設計についての打ち合せ等を行い、昭和五四年一二月二〇日、被告が建築確認を受けて間もなく本件建物の建築を開始した。

(九) なお、本件建物建築後、三郎の甥である甲野五郎(以下「五郎」という。)から右建物建築につき異議の出されたことは全くなかった。

2  以上の認定事実によれば、原告が被告に対し、昭和五四年一二月一〇日、本件甲土地を三〇〇〇万円で売り渡したものというべきである。

この点に関し、原告は、原告が前記売買契約書(<書証番号略>)の作成などにおいて実印等の意味を理解していないばかりか、春子が原告宅に始終出入りしており、原告の実印を容易に入手できる状態にあったから、右売買契約書や委任状に原告の署名捺印があったとしても、これをもって原告の意思を判断することはできない旨主張し、<書証番号略>及び証人甲野花子、同Cの各証言、原告本人尋問の結果中には右主張にそう供述部分がある。しかし、昭和五四年一二月一〇日付前記売買契約書については、原告名下の印影が原告の印章によるものであることにつき当事者間に争いがなく、本件甲登記手続のための昭和五七年一一月一八日付委任状(<書証番号略>)、本件負担付死因贈与契約のための昭和五六年六月付条件付贈与契約書(<書証番号略>)、本件乙登記手続のための昭和六三年一二月二〇日付委任状(<書証番号略>)、本件負担付死因贈与契約の公正証書を作成するための昭和五七年一一月一〇日付委任状(<書証番号略>)については、原告名義の署名押印が原告によってなされたものであることにつき当事者間に争いがないから、特段の事情が存しない限りいずれも真正に成立したものと推定するのが相当である。のみならず、右各日付から明らかなとおり、右各書面は昭和五四年一二月から昭和六三年一二月までの九年余の間に逐次作成されており、かかる時日の経過に照らすと、右各書面が原告の法的無知を利用して作成されたものとは到底考えられず、かかる事実に<書証番号略>、被告本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、被告から本件売買契約の説明を受けてその契約書に押印をし、その後も被告から本件負担付死因贈与契約の説明を受けて右条件付贈与契約書(<書証番号略>)に署名押印をしているし、また、本件負担付死因贈与契約に関する公正証書作成手続並びに本件売買契約及び本件負担付死因贈与契約に基づく各登記手続の申請に際し、その都度被告は、原告に対し、右各手続の意味内容を説明した後、原告から委任状と印鑑証明書の交付を受けているものというべきである。したがって、<書証番号略>並びに前記各証言及び原告の右供述部分は信用することができず、原告の右主張はその前提を欠き理由がない。

なおまた、原告は、本件甲土地の残代金を昭和五五年四月から昭和六〇年二月にわたり領収してきたことを証する領収書(<書証番号略>)、原告が被告から本件売買代金完済後も毎月五〇万円宛受け取っている旨の書面(<書証番号略>)及び原告がその相続人に対して本件乙土地を死因贈与したので原告の死後は被告に協力するように依頼した書面(<書証番号略>)等は、原告の昭和六三年九月の退院後に、右各書面の原稿(<書証番号略>)を春子から渡され、原告又は花子がそのとおり記載したものであるが、当時原告は八八歳の高齢であるうえ判断力が衰えており、右原稿の字面を追って書き写したにすぎないものであるから証拠価値がない旨主張するが、右各書証に記載された内容は、前記1認定のとおり被告が原告に対して本件売買代金の分割弁済をなし、原告が平成元年七月まで異議なくこれを受領してきた事実と符合するうえ、証人甲野花子の証言によれば、原告が退院した当時、原告は物忘れをするようにはなったが、判断力が衰えていたというほどのものではなかった事実が認められることに鑑みると、右各書証は十分信用できるものというべきである。

さらに、原告は、三郎において五郎を甲野家の後継者として指定し、五郎に原告の面倒と甲野家の継承を託していたこと、原告には昭和五四年当時預貯金等の金融資産もあり、五郎も原告に金品を送り、また、三郎の妹亡丁海冬子の二男丁海六郎も原告の世話をしていたのであるから、何ら生活に困窮する状態ではなかったこと、したがって、原告が被告に本件各土地の処分につき相談することはあり得ない旨主張し、<書証番号略>には右主張にそう記載があり、証人甲野花子及び原告本人も右原告の主張にそう供述をするが、前記1認定の事実関係に加え、<書証番号略>及び証人乙川春子の証言により認められる原告らが昭和五四年一〇月ころ春子を介し松下電器工業株式会社に対し本件各土地の買取方を打診している事実に照らすと、原告主張にそう右記載ないし供述はにわかに措信できず、原告の右主張は採用できない。また、原告は、本件甲登記における登記原因の売買の年月日が昭和五七年一一月一八日とされていること、本件売買残金の支払が昭和五五年四月から昭和六〇年二月までの分割払となっているにもかかわらず、前記売買契約書には売買残代金を分割払にする旨の記載がないことは不自然である旨主張するが、右記載のないことをもって前記認定を覆すことはできない。

三抗弁2(本件負担付死因贈与契約)について

前記二1認定の事実に加えて、<書証番号略>、証人甲野花子(但し、前記及び後記の措信しない部分を除く。)及び同乙川春子の各証言、原告(但し、前記及び後記の措信しない部分を除く。)及び被告各本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

1  被告は原告と花子の希望により、同人らの家事手伝人の居住用建物(以下「別棟建物」という。)を建築したが、右建物を建築するに際し、本件乙土地の一部に存在する旧建物の土台の一部を利用したため、別棟建物の登記については、旧建物の「一部取壊し」を原因とする変更登記手続がなされた結果、登記簿上は原告所有名義となった。

2  このため、被告は、昭和五六年四月ころ、将来譲り受けることになる本件乙土地上に原告名義の建物が存在することは、将来原告の死亡による相続が開始したときに右土地に対する権利関係が不分明になるおそれがあるとして、原告に対し、別棟建物の所有名義を被告に移転するように求めたところ、原告が原・被告間の約束の支障となるならすぐに贈与する旨約し、同年六月一九日、同年四月二八日付贈与を原因として別棟建物につき原告から被告への所有権移転登記手続が経由された。なお、別棟建物の建築代金については、当初花子がこれを支払ったが、その後被告が花子に右代金相当額を支払った。

3 ところで、被告は、昭和五六年六月にAに依頼し、原告が本件乙土地を被告に贈与することとするが、右贈与は原告が死亡した時に効力が発生する旨の条件付贈与契約書(<書証番号略>)を作成したうえ、原告に対し、右条件付贈与契約書の内容を説明するとともに、被告が原告に対し、昭和六〇年三月から原告の死亡に至るまで毎月五〇万円ずつ支払うが、その方法については被告が原告に賃貸していた本件建物の賃料として月額二〇万円を右五〇万円から控除し、その残額の三〇万円を毎月支払うこととする旨説明し、同年六月三〇日右条件付贈与契約書に原告の署名捺印を得たが、その際、原告は、被告に対し、本件建物での生活が快適であると感謝の意を表明した。そして、前記二1認定のとおり、被告は、原告に対し、昭和六〇年三月から平成元年七月まで、本件負担の履行として毎月五〇万円から本件建物の賃料二〇万円を控除した三〇万円宛を支払い、原告は、これを生活費に充てるなどしてきた。

4  原告は、昭和五七年六月ころ、三郎の子供であると称する戊山朝子(以下「戊山」という。)が現れて、三郎の財産を渡すよう要求したため、被告に対し、戊山に対する対処を依頼した。そこで被告が被告代理人弁護士藤井正博(以下「藤井」という。)に相談したところ、藤井は、被告に対し、戊山らとの紛争を未然に防止するため本件甲土地につき所有権移転登記手続をなし、本件乙土地については意思を明確にするため公正証書を作成するようにと助言した。そこで、被告は、原告に対し、右助言の内容を話したところ、原告は、快くこれを承諾して右処理を被告に任せ、本件甲土地につき昭和五七年一一月一九日売買を原因とする所有権移転登記手続申請をなして本件甲登記を経由し、同月二四日、本件乙土地につき前記条件付贈与契約書に基づき、これと同内容の死因贈与契約公正証書(<書証番号略>)を作成した。

5  原告は、被告に対し、被告の依頼に基づき作成した相続税計算のための原告の相続人一覧表を交付し、昭和五九年公認会計士Dが被告の依頼を受けて右一覧表をもとに相続税の計算をした。

6  原告が昭和六三年七月ころ微熱、疲労等身体の不調を訴えて入院し老衰の度が増したため、被告は、原告が死亡した場合、本件乙土地の所有権移転登記手続につき相続人の協力を得やすくするために、本件売買代金の領収証、売買及び贈与の事実を記載した書面等を徴しておく必要があるとの藤井の助言に基づき、原告が退院した後の同年一〇月ころ、藤井から右各書面の案文(<書証番号略>)の作成交付を受け、原告に対し、春子を介して右案文に従った原告又は花子の自筆の書面の作成を依頼し、そのころ原告から同書面(<書証番号略>)の交付を受けた。

7  そして、被告は、昭和六三年一一月二三日、昭和五五年一一月二四日贈与を原因として本件乙土地につき本件乙登記手続を了した。

以上の認定事実によれば、昭和五六年六月三〇日に原告と被告との間で前記条件付贈与契約書が作成された時点で原・被告間に本件乙土地についての本件負担付死因贈与契約が成立したものと認められ、同契約に基づいて本件乙土地につき本件乙登記が経由されたものと認めるのが相当である。

もっとも、原告は、条件付贈与契約書(<書証番号略>)及び死因贈与契約公正証書(<書証番号略>)には、何ら本件負担についての文言が記載されていないから、仮に贈与があったとしても死因贈与は負担付のものではない旨主張するが、被告本人尋問の結果によれば、右契約書に本件負担の内容を記載しなかったのは、原告に税負担をさせないためであったことが認められ、これに前記認定のとおり本件負担付死因贈与契約に伴う負担の履行がなされている事実を併せ考慮すると、原告の右主張は理由がない。

四再抗弁1(公序良俗・信義則違反)について

本件売買契約及び本件負担付死因贈与契約が締結されるに至ったのは、もともと快適な住まいで老後を送りたいと願う原告らの要望に基づくものであること、子供のない原告らにとって、死亡するまで本件建物において生活ができ、しかも、毎月定額の金員が得られることは、原告らの老後にとって平安とやすらぎを与えるものであること、現に原告らは被告から受け取った金員で生活を送っていること、原告が死亡するまでは本件乙土地の所有権は原告に帰属していること、以上の事実は前記二1及び三認定のとおりである。しかして、右認定にかかる右各契約締結に至る動機及び経過、被告の負担の割合、原告と被告の身分関係、生活関係等に徴すると、右各契約が公序良俗に違反したり、信義誠実の原則に反する無効なものと認めることは到底できない。

してみれば、本件売買契約は有効に成立し、したがって原告は本件甲土地の所有権を喪失したものというべきであり、また、本件負担付死因贈与契約も有効に成立、存続し、これに基づいて本件乙土地につき本件乙登記手続がなされたものといわなければならない。

五再抗弁2(本件負担付死因贈与契約の取消)、再々抗弁及び再々々抗弁について

1  原告が被告に対し、平成四年六月三〇日、本件負担付死因贈与契約を取り消す旨の意思表示をしたことは当裁判所に顕著である。

2  再々抗弁について検討する。

前記二1認定の事実によれば、被告が原告に対し、昭和六〇年三月から平成元年七月まで毎月五〇万円のうち本件建物賃料二〇万円を控除した残金三〇万円ずつを支払っていたところ、更に被告が原告に対し、平成元年八月三一日、三〇万円を提供したが、原告からその受領を拒絶されたため、同年九月二九日、横浜地方法務局藤沢出張所に弁済のため供託したことは当事者間に争いがない。

しかして、右事実によると、被告は、原告に対し、昭和六〇年三月から本訴の提起がなされた平成元年九月まで四年七か月の間前記のとおり約旨に従い毎月五〇万円の負担を履行しており、被告が現実に弁済した金額は、前記のとおり本件建物の賃料控除前の金額を前提とすれば合計二六五〇万円に、右控除後の金額を前提としても一五九〇万円であり、これに加えて、<書証番号略>によれば、本件乙土地の昭和五四年当時の評価額は約四〇〇〇万円程度であり<書証番号略>によれば、昭和五九年五月七日当時の評価試算額は五六七〇万八八一六円であったことがそれぞれ認められ、右事実からすれば、本件負担付死因贈与契約当時の評価額は約四〇〇〇万円ないし五〇〇〇万円程度であったものと推認されるところ、右負担の履行期間及び贈与対象部分に対する履行済負担の割合等を考慮すると、被告は、本件負担付死因贈与契約に基づき本件負担の全部に類する程度の履行をしたものと認めるのが相当である。

3  そこで、再々々抗弁について判断するに、前記二1及び三認定のとおり、本件負担付死因贈与契約がなされたのは、もともと快適な住まいで老後を送りたいと願う原告及び花子の要望に基づくものであり、右契約締結の動機において原告にその必要がなかったということはできないこと、のみならず本件負担の内容は、原告及び花子が死亡するまで原告らが本件建物に居住でき、しかも、毎月三〇万円の現金が原告らに支払われるというもので、この内容は原告にとっても利益と認められること、これに加えて前記認定のとおり本件負担付死因贈与契約締結当時における本件乙土地の前記評価額と被告が現実に弁済した金額とを比較しても、なお、本件負担の価値と原告の贈与財産の価値の相関関係は右贈与財産の方が圧倒的に大きいとまではいい得ないばかりか、前記二1及び三認定のとおり、被告は、原告の夫三郎の姪春子の夫であるという関係にあり、被告夫婦が、三郎の死亡に際し相続税の申告等の手助けをしたり、家事手伝の人の世話等、原告や花子の日常生活等につき物心両面において世話をしてきたこと、被告が原告の依頼に基づき戊山との関係についても処理していること等の事実に徴すると、原告らが何かと被告夫婦を頼りにして来たものといわなければならず、かかる事実を併せ考えると、原告と被告との間に本件負担付死因贈与契約を締結、維持するための信頼関係が培われていたというべきであり、被告の本件負担の前記履行状況にもかかわらず、本件負担付死因贈与契約を取り消すことがやむを得ないと認められる特段の事情があるということはできない。

したがって、原告は被告に対し本件負担付死因贈与契約を取り消すことができないものというべきである。

第二反訴について

一原告と被告が、昭和五六年六月三〇日、本件負担付死因贈与契約を締結したことは、前記第一の三認定のとおりである。

二本件乙登記には、登記原因として「昭和五五年一一月二四日贈与(始期甲野正子死亡)」と表示されていることは当事者間に争いがない。

三してみれば、本件乙登記は、登記原因の日時を契約書記載の昭和五六年六月三〇日とすべきであったところ、錯誤によって右日時を昭和五五年一一月二四日としてなされたものと認められるから、原告は、被告に対し、本件乙登記につき「原因昭和五五年一一月二四日贈与(始期甲野正子死亡)」とする登記原因を「原因昭和五六年六月三〇日贈与(始期甲野正子死亡)」とする更正登記手続をなすべき義務があるものというべきである。

第三結論

よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、被告の反訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官福井厚士 裁判官河野清孝 裁判官小濱浩庸)

別紙第一物件目録<省略>

別紙第二物件目録<省略>

別紙第三物件目録<省略>

別紙供託の記録(Ⅰ)<省略>

別紙供託の記録(Ⅱ)<省略>

別紙供託の記録(Ⅲ)<省略>

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